今回は哲学的な話をしていきたいと思う。
ズバリ「不死を手に入れる方法」だ。
...いや、これでは語弊があるな。
言い換えると、今回のトピックは「不死になる方法」だ。
もちろん、不老不死などといった物理的な不死ではない。
哲学的な不死である。
ここからは私の持論となるが、興味があれば見ていってほしい。
最初に、「シュレーディンガーの猫」をご存知だろうか。
知らない人はぜひとも調べてほしい。
簡単に説明すると、「箱の中に閉じ込められた生死が不明な猫は、観測されるまで死んだ状態と生きている状態の両方が1:1で重なり合っている」というものである。
あくまで思考的な実験であり、実際にそんなことはありえないが、この考えは量子力学と深く関係している。
ここまでの流れで私が何を言いたいかと言うと、
「存在を確立するには観測者が必要」だということである。
(観測者=第三者)
量子力学的な考えとは離れるが、
これは人間も同様である。
「人がそこにいる。」と認識されるためには、観測者が必要なのである。
人がそこにいる。つまり、個人のアイデンティティの確立である。
人は一人ではアイデンティティを維持できないのだ。
つまり、人が「死んだ状態」とは、
「誰からも忘れられたとき」であると私は考える。
もうお分かりだろうか。
以上を踏まえると、「不死になる方法」とは
「後世に語り継がれること」である。
身体が滅びたとしても、その人物が残した精神・アイデンティティは不滅なのだ。
例えば、マイケル・ジャクソンは今も世界中の人々の心の中で生きている。
同様に、世界の偉人たちが残した財産は、今も現代で生きている。
これは「不死」ではないのか?
私はこれが「不死」の限界だと考える。
以上
最後に
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